待兼山俳句会
はじめに
林 直入(故人)
産みの苦しみと言う言葉もあるが、われわれの待兼山俳句会はごく自然に生まれたと言っても差し支えない。その経緯は平成十二年に上梓した合同句集「待兼山」の序文に旧制浪速高等学校同窓会元会長の故河野冨久雄氏が述べておられるので、それを援用させて頂く 。
「浪高俳句会は、昭和五十四年四月 故山田不染、林直入両氏を選者とし、その指導を受ける浪高俳句教室として始まり、その後、選者に吉年虹二氏を迎えて句会、吟行を重ね、浪高七十年記念式典には、旧制高等学校の俳人を招き記念句会を開くなど活発な俳句活動を続けて来た。句会の世話人は故阪野池畔氏に始まり、河野ふくを、井上浩一郎、河盛泰三と受け継がれ、平成十二年から阪本ゆたか、鶴岡まこと(旧号)、田中嵐耕三氏により運営されている。」
当時不染氏は大阪倶楽部俳句部の指導者、直入は綿業倶楽部の綿業句会の古くからの会員であり、当時の六倶楽部合同句会でお互いに面識はあったものの、親しいと言う程の間柄でもなかった。そのうち不染氏が筆者が浪高の後輩であることに気付かれ、同窓会などでお付合いが始まり、浪高俳句会発足の動機になったのである。会の名称も平成十三年には待兼山俳句会と改称して現在に至っている。これは会員の資格が当初の旧制浪高出身者およびその家族としていたのを阪大出身者とその家族に拡大したことによる。
発足当時の会員数は記録によれば、第一回の句会に十八名が出席(投句一名)している。句会場は不染氏が社長をしておられた西邦産業㈱が近いこともあり、大阪倶楽部の三階会議室とし、現在まで毎月第三月曜日の午後三時締切り、十句出句、十句選句を続けている。(一般の句会にくらべて出句数が多いのは学士会の句会である関西草樹会に倣ったものである。)当会は外部の特別選者による選を受けず、代表者が自由に選句し、披講の後、句評などを行うことにしている。
現在代表選者は長山あや氏と直入が務めている。俳風は自由とするものの、代表選者がいずれもホトトギス同人であり、花鳥諷詠のホトトギス調に主導されている。定例の句会の他、年に二〜三回は吟行も行っている。昨年十月には当会第五百回の句会を迎え、ホトトギスの稲畑廣太郎師を迎えて盛大な祝賀句会を催した。
当会は発足以来四十年を越え、初回より出席しているメンバーは三宅洛艸氏と筆者のみとなったが、年移り人変って今も三十名の会員を擁し、盛会を持続していることは心強いことである。ことに近年発足当時は川崎香月さんただ一名であった女性会員が増加したことも喜ばしく思う。当会の発足当時、各旧制高等学校の同窓会にも俳句会があると聞いていたが、それらが今も存続しているかは定かでない。当会が今日まで隆盛を保っていることは大いに誇りにしてよいと思う。これからも新しい阪大出身の会員を加え、益々の発展を期待する次第である。(平成24年5月記)